SHIRO、四国の城、愛媛県 大洲城 「名城探訪 ~肱川あらしと大洲城」東洋証券クレイン連載 「肱川あらし」に包まれる美しい城がある。 晩秋から春先にかけて愛媛県大洲市では、寒暖差による放射冷却がうみだす大規模な霧が盆地を包み、肱川を流れ、瀬戸内海へと吹き抜ける現象が度々みられる。肱川あらしと呼ばれるその現象を「肱川あらし展望公園」から眺める事ができる。 戦国末期、豊臣秀吉の四国平定の後、築城名人と名高い戦国武将・藤堂高虎が秀吉の命により、地蔵ヶ嶽城に入った。この城は、肱川の河川運搬を監視でき、長曾我部氏や毛利氏といった有力大名が奪い合った要所にあった。そのため高虎は、土造りの地蔵ヶ嶽城を石垣や櫓を備える近世城郭へと大改修した。ちなみに高虎は、伊予国(現・愛媛県)において今治城の築城や、宇和島城の改修も担当している。高虎の後に入城した脇坂安治の頃には、現在の様な天守をもつ姿になり、いつしか大洲城と呼ばれるようになったといわれる。江戸期になると、大洲藩主・加藤氏13代の治世の拠点となった。 明治期に入り、天守は老朽化を理由に取り壊され、石垣を残すのみとなった。城内4基の櫓、高覧櫓、台所櫓、三の丸南隅櫓、苧綿櫓は存続し、現在では国重要文化財に指定されている。 かくして平成になり、天守復元を望む自治体や有志による寄付金募りも功を奏し、2006年(平成18年)脇坂時代の四重四階木造天守が忠実に復元され、約1世紀ぶりに蘇ったのであった。90年代の大人気ドラマ「東京ラブストーリー」のロケシーンで映った大洲城に天守がなかったことが今となっては懐かしい。 寒暁の深い霧から姿を現す復元天守。肱川越しにカメラを構えると、眼前には往時の威厳が蘇り、それが悴んだ指先を伝って心を震わせる。城下町を流れる肱川あらしを高所から眺めるよりも、私の様な城好きは、霧に隠れた城郭に歴史ロマンを感じるのであろう。